デザイナーコラム

旅記Ⅴ|陰陽師を辿る旅!@京都Ⅰ

行った事がない土地や神社はまだまだたくさんあります。
ご縁があって行った土地や神社、みなさんに紹介したい素敵な場所などを「旅記」としてご紹介して行きたいと思います。

昨年、陰陽師を辿る京都旅をしましたので訪れた神社仏閣等々をご紹介いたします。
陰陽師に興味がある方は参考にしてみてください^^

そもそも何で陰陽師を辿る旅に京都に行こうかと思ったかと言いますと、前世に陰陽師をやっていた過去世があることが判明し、自分自身を知る旅をしようと思ったことがきっかけでした。

私はいくつか自分の過去世を知っています。霊能者の方に教えてもらった前世もありますし、当時使っていた物が物質化して、その光景が見えて分かった前世もあります。陰陽師の場合は後者の方です。陰陽師などは、秘技がたくさんあります。過去世も他人には見られないように鍵がかかっている場合があるのです。

神社仏閣は、自分が通ってきた過去世などによっても人それぞれ感じ方が違います。
気になった神社仏閣や行ってみたいな~っと思った場所はご縁があったりしますので、ぜひ足を運んでその土地や神社のエネルギーを感じてみてください。

様々な秘術を持つ陰陽師とは?

陰陽師とは、日本古来の律令制の下で中務省(なかつかさしょう)の陰陽寮に属した官職の一つです。
陰陽師の始まりは古く、飛鳥時代までさかのぼるといわれています。

陰陽師の根底には古来中国で信仰されていた陰陽五行思想があります。
陰陽五行思想とは、全ての事象は陰と陽に分けられ、「木・火・土・金・水」の5つの元素から成り立つと考えられています。


古来中国で信仰されていた陰陽五行思想に、当時日本で最先端の学問とされた仏教や道教、神道、修験道の要素を混合し陰陽道が創られました。また、天文学や暦学、易学・方位学等と密接な関係を持つものとなります。
陰陽師は陰陽道を駆使し、神意を占い、祈祷を使い人々の安寧を護っていたといわれています。

陰陽師は官職であり、律令制が厳しい時代では認められた陰陽師以外の者が、陰陽道を学ぶことは厳しく禁止されていました。
当時の陰陽寮に入れるのは6人だけと、かなり狭き門だったようです。

天才陰陽師 安倍晴明を祀る晴明神社

陰陽師を語る上で欠かせない人物が安倍晴明です。
陰陽師の存在は徐々に有名になり、平安時代に最盛期を迎えます。その平安時代の筆頭が安倍晴明でした。

陰陽道に関する知識が卓越していると評判になった安倍晴明は多くの貴族から信頼を得ていました。
さまざまな実績や逸話を残し、伝説の陰陽師として現代に伝承されています。

陰陽師とは本来、祈祷や風水等で占うことがメインの仕事でしたが、安倍晴明は陰陽師の仕事を超え、呪禁師の領域でも活躍したといわれています。安倍晴明は多数の式神を使い、家事や身の回りの世話もお願いしていたとの逸話もあります。

また、諸説ありますが、安倍晴明の母は信太の森に住む葛の葉(くずのは)といわれる白狐であるといわれています。
豪族であった安倍晴明の父(阿部保名)が、人に騙され所領を没収されたので保名は家の再興を願い信太森葛葉稲荷に参詣していました。
ある日、数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けましたがその際保名は怪我をしてしまい、その場に倒れます。白狐は葛の葉という女性に化け、保名を助けました。


その後、保名と葛の葉(白狐)はやがて心が通じ合い夫婦となり童子丸(後の安倍晴明)が生まれたという言い伝えがあります。
半分白狐の血が流れている安倍晴明は、他者より霊力が秀でていたといわれ、幼いころから鬼も見えていたといわれています。

晴明神社の敷地内には、社紋である五芒星が至る所に描かれています。晴明井戸や厄除桃などがあり、晴明井戸から湧く水は晴明水とよばれ、安倍晴明の陰陽道の霊力により湧き出ているといわれています。


境内はこじんまりしていますが、明るく独特の雰囲気がある気持ちのいい神社でした。

鳥居入ってすぐの大きい聖獣さんはとっても可愛くて、二カッと笑ってくれました。

♦晴明神社
住所:京都府京都市上京区晴明神社806堀川通

方位を司る神様 大将軍八神社

大将軍八神社は平安京を守護するために、京都御所の北西角にあたるこの地に陰陽道のお堂として建てられ、かつては「大将軍堂」とよばれていました。江戸時代に入り、「大将軍社」と改められ、さらに「大将軍八神社」と改められ現在に至ります。
大将軍八神社は住宅街に突然出現するので、少し驚きました。近くの道幅もかなり狭いです。

大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で、方位を司る神様です。このため、方除・建築・移動・旅行・厄除の神として古くから信仰されてきました。陰陽道は、天文学や方位学とも大変関わりが深いものでした。
本殿の前には、八掛の羅針盤の台座の上に北極星が掲げられた立派なオブジェがありました。

境内奥には、古天文暦や大将軍神像80体が安置されている「芳徳殿」があります。
こちらの神像群は、平安時代中期から末期の制作といわれています。80体もの古神像が一神社にまとまって伝来する例は日本でも他になく、大変貴重です。
私が行った時は残念ながら芳徳殿が公開されていない日だったので、次回はこちらも実際に見たいと思います。

本殿脇には、神代榊と書かれた招霊の木(おがたまのき)があります。古くからある神聖なご神木です。
境内はスカッと明るい雰囲気で、気持ちのいい神社でした。

♦大将軍八神社
住所:京都市上京区一条通御前西入西町48
芳徳殿一般公開:毎年5月1日~5月5日・11月1日~11月5日(その他予約制)

世界文化遺産の1つ 賀茂御祖神社(下鴨神社)

下鴨神社は、正式名称を賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といいます。
鴨川の下流に祀られている神社で、糺の森(ただすのもり)が大きな参道になっている大地のエネルギーをたくさん感じることができる清らかで美しい神社です。

本殿は東西の2つで、西殿は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)・東殿は玉依媛命(たまよりひめのみこと)をご祭神としています。
西殿の賀茂建角角身命は、古代の京都をひらかれた神様です。山城の国一宮として、京都の守護神として祀られています。
古事記や日本書紀には、賀茂建角角身命を金鵄八咫烏(きんしやたからす)⦅簡単に言うと八咫烏のトップ⦆として表されており、導きや勝利の神・方除・厄除・交通や旅行の安全など多方面に御神徳を顕しておられます。

東殿の玉依媛命は、鴨川で禊をされている時に、上流より流れた丹塗の矢を拾われて床に置いたところ、矢は美しい男神になられ、結婚され、お子を産みになったと「山城国風土記」に伝えられています。古くから縁結び・子育ての神様として信仰されています。

下鴨神社の歴史はかなり古く、糺の森周辺では縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘されています。
創建年は不詳ですが、紀元前90年に神社の瑞垣の修造が行われた記録があり、少なくともそれ以前から神社祭祀が行われていたと考えられています。
平安時代には、国と首都京都の守り神として、皇室の氏神様として信仰を受け、式年遷宮や斎王制度などが定められていた特別な神社です。

参道でもある糺の森は3万6千坪もの広大な森です。昔は150万坪にも及んでいたそうです。
古代の森の姿をそのまま留めているこの森には、樹齢600年から200年の樹木が何百とあります。
参道をゆっくり歩くだけで浄化され、大自然のパワーをダイレクトに感じさせてくれる癒しの道となっています。

東西御本殿の手前には「言社(ことしゃ)」という末社が鎮座しています。
言社は、7つの御社からなり、それぞれに十二支の守り神が祀られています。自分の干支を参拝した後本殿に向かいます。
この7つの御社には、出雲の縁結び神として知られる大国主命の別名があてられています。こちらの7つの干支を参拝することは、大国主命を拝んでいることに繋がります。
下鴨神社周辺や、上京区周辺は古くは出雲族が多くいた地域といわれています。下鴨神社で奉祀してきた賀茂氏は元々出雲族の流れを汲む氏族とされてきました。下鴨神社は出雲と縁の深い神社でもあるのです。

♦賀茂御祖神社(下鴨神社)
住所:京都府京都市左京区下鴨泉川町59

葵祭(あおいまつり)が有名! 賀茂別雷神社(上賀茂神社)

上賀茂神社は、正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といいます。
国宝2棟、重要文化財41棟を含む広大な敷地は全てユネスコ世界文化遺産として登録されています。

御祭神は、神山(賀茂山)のふもとに降臨したといわれる賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)をお祀りしています。
古来より、厄除・方除・開運・雷除・必勝等の御神徳を顕しておられます。

上賀茂神社の社紋は二葉葵(ふたばあおい)です。
葵は古くは「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」神を意味し、葵とは「神と逢うこと」を意味し、また、「神と逢う日」を表します。
二葉葵は、神と人とを結ぶ草として古来より大切に守られてきた植物でもあります。
御祭神降臨の際に「葵を飾り祭をせよ」との御神託があったことから、現在も毎年5月に行われている葵祭は京都の三大祭りの一つとして大変有名です。(現在はコロナ感染の影響により、葵祭は神社関係者のみで行われている様です。)
歴史を感じる美しい葵祭は一度は実際見てみたいです。コロナが落ち着いたら葵祭に合わせてまた京都旅をしたいと思います。

こちらの砂山は「立砂」とよばれ、賀茂別雷大神が降臨したと伝えられる本殿の背後に位置する神山を模したものです。
立砂は、現在でも行われている鬼門や裏鬼門に砂をまき清める習慣の起源になったといわれています。

境内には、「御物忌川(おものいがわ)」と「御手洗川(みたらいがわ」という2つの川と、それらが合流した「ならの小川」が流れています。ならの小川は、葵祭の禊の儀式を行う神聖な場所としても知られています。

境内は優しい森に包まれているのも特徴です。
こちらの「願い石(陰陽石)」は、この地で古くから龍の住む池があったといわれ、池の底より出土した陰陽石は、陰と陽が極まり融合した姿を表しています。両手で同時に手を触れ、そのお力を頂いて下さいとあったのでありがたく触らせていただきました。

境内は澄んだ空気に包まれ、広々として大変心地の良い神社でした。

♦賀茂別雷神社(上賀茂神社)
住所:京都府京都市北区上賀茂本山339

今回は、陰陽師に関係する代表的な4社をご紹介いたしました。
京都には本当にたくさんの神社仏閣が立ち並んでいます。自分なりにテーマを決めて周ってみても面白いと思います。

陰陽師は、古くから帝(みかど)や平安京を裏で護り、人々の安寧を願っていた人たちです。
近年では、陰陽師の映画やフィギュアスケートの羽生結弦選手が「SEIMEI」の曲で演技をしたことでも注目されました。
現代にまで語り継がれる陰陽師の歴史に触れてみてはいかがでしょうか^^

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